2007-05-31

エロゲ話題を含むのでこっちに書く。

セカイ系や特別な自分》を包含し癒し包み込む、『日常の豊かさ』を見つめ直そう

優越感ゲームに陥りがちなメタ視点・メタ批評ではなく、多視点・群像劇的な視野こそが閉塞感を打ち破る

って、エロゲが90年後半から描いてきたことでしょう。「ONE」「Kanon」で麻枝さんは日常の豊かさを描くことで過去を思い出に変える物語を描いてきたし、「Sense Off」で元長さんはメタ視点をさらにメタに客体化して描くことで、日常を異化してみせた。
今のエロゲ業界の衰退は、見つめ直された『日常の豊かさ』すら繰り返し消費することでマンネリに陥ったことに拠るところが大きい。
そもそもアンチエヴァを最初にやった「ナデシコからして確かにそういう方向を目指していたわけで。「ナデシコ」の場合、『日常の豊かさ』は「バカばっかり」でありゲキガンガーなわけだけど。あるいは最近だと、「エウレカ」はビルドゥンクスロマンに似つかわしくないほど年長者の蹉跌を描いている。試みは色々あるでしょう。
イリヤ」はセカイ系云々以上に、秋山さんの筆力で評価されているわけで。鉄人定食や浅羽の首の後ろの虫取りなんかは、「『日常の豊かさ』を見つめ直そう」なんて生易しいものじゃない。
何が言いたいかというと、みんなが色々やりつくした方向だし、エロゲ業界の衰退を見てわかるようにあんまり期待できないんじゃないのかな、ということです。「ゼロ年代の想像力」の射程にあるものが早晩枯渇するものであって、書き手は(少なくとも私は)既にその次を模索していること。その上で壁にぶつかっている。おそらく、東さんが「文学に未来はない」というのは、そういう意味だと思っています。