シリアスについて

現在執筆中の短編(Kanonです)について考えていたことを…。
二次創作において、シリアスとは、ほとんどがキャラクタの内面に潜む影を暴き出す作業です。その後の展開も、補完ものに行くか鬼畜な方向に行くかの二種類であることが多い。いづれも、「痛い=シリアス」の図式が成り立っています。

二次創作とは、キャラクタの場所に立ってものを描くもの(考えること)である、という立場からすれば問題ないかもしれません。主人公が向き合うのは過去であり、原作によって与えられた設定です。それこそが、書きたくなる/読みたくなる作品だという真理もありますが、必然として作品に限界があると思うのです。

自分は、そうでない作品も書きたいのですが、それがエンターテイメントになるかどうかがまた問題なのですよね。うぐぅ。きっとこれは、ウィッツさんのページで話題にのぼった、「Kanonを描いている部分」と「Kanonで描いている部分」のバランスの問題なのでしょう。