車輪の国、向日葵の少女その2

リアルの世界のうちシステムを少しずらした世界を描くというのは、SFの方法論として確かにある。ジェンダーSFとか。車輪の場合、戦時中の日本と現在の日本のずれを異化するための設定、という見方もできる。けど、団塊の世代あたりの行動規範と今のわれわれの行動規範のずれを異化しているとも読める。しかし、ライター頭いいな。2章、3章までは、茶番だなぁとちと冷めながらプレイしていたけど、4章でようやくぐっと来始めた。
茶番でも、"偏り"にきちんと目を向けるお話は、なんらかの力を持っている。チープ革命、総表現時代では、"偏り"や"暗さ"というものを力を持って描けない、ということは表でも書いた。2章のまなや3章の灯花はそれまでの展開から異質なほどに強さと慈愛を発揮してお話を収束させる。ちょっとべたで、SF的な世界設定を持ち込んだわりにちゃんと異化されて描けていないようにも思えるのだけど、こういうのも大事だよねとコミットできるだけの力を持っている。