とらいあんぐるハート2

前のビリフリで話題になって、なんとなくプレイしたくなった。これのOPが「風にまけないハートのかたち」なんやね。1のOPって、んー、(ggl)、「小さなぼくのうた」か。「ハートはいつも全開無敵ー♪」、あー息苦しいっw
愛→ゆうひ→真雪まで。
プレイするとしっかり思い出してしまう。ゆうひのクリスマスの歌とか、「女の涙酒」とか、美緒の歌とか、普通に歌えたオレワロス。11月の耕介の歌の意味が未だに分からんw
愛さんの木訥さとかゆうひのこいぬっぷりとか溶けそうだし、真雪の怪演っぷりはやはり笑える。「わははーもみ得ー」とかすごすぎ。

上のリンク先のWikipediaより。

とらハシリーズではヒロインとの関係が深まっていく様子を描く手段として、性的描写シーンを多用した。後にこの手法は一般化して他の18禁恋愛シュミレーションゲーム作品でもよく見られるものとなった。

初プレイ時にはころがりそうな甘い雰囲気を感じたんだけど、今回プレイするとそうでもなかったな。でも、その前後の細かい所作とか、日常とのギャップは丁寧に描かれていて、転がれる。この点で今でもワンアンドオンリーなゲームだ。いや、真雪さん、こんな可愛かったっけ? とさえ思ったぞ。

またシリーズを通して、攻略対象の女の子が、何かしら非現実的な設定をしていることが多い。忍者や暗殺者、霊能力者や超能力者、吸血鬼やアンドロイドや猫娘など。むしろ何事も無く普通に育ってきたという場合の方が少ない。

それなんてハルヒ。とはいえ、ラノベ的な世界観とはずいぶん違う。非現実なキャラ同士が日常で絡んでいるのと、ちゃんとそれそれ泣きエピソードを用意しているところが違うんかな。

仁村真雪(にむら まゆき) 声優:藤澤暁
自分の漫画は、どんな酷い事になろうとも“必ずハッピーエンドにする”というポリシーを持つ。

ラスト、どうして漫画を書くかと聞かれた真雪は、不幸な身の上を呪うだけで何もしようとしないキャラとか、人を不幸にして喜んでいるとか、悲しい漫画は腹が立つ、てなことを言っていた。確かに1999年当時、そんな脱構築な作品が多かった。当時も今も、真雪さんにはとても共感できた。自分のSSでも絶対そういうのは書かないようにしようと思った。
今ってどうなんだろう。そんなただ悲しいだけの話はずっと減ったように思う。代わりに無意味にポジティブで空虚で、表層的に楽しいことだけが求められている。悲しい話にむかつくことはなくなったけど、快楽を効率的に与えてくれる作品に対して抵抗する気力も削がれている。
ルサンチマンって創作において強力な原動力のひとつだと思うんですよね。今ってそういう感情を持つのが難しい。物語が解体しているってのはそういうことなんだろうけど。
あと、真雪って多分都築さんが投影されているんだろうけど、今自分の内面を外化する作風って減ってるだろうなーと思う。自分の内面をエンターテイメントになるまで相対化して作品に落とし込むまでの力量を持つ書き手が減っている。あと、今のラノベ全盛な風潮では、その相対化された内面がセカイ系的な自己実現の裏返しと代わらなくなってしまって、ちゃんと描くのが難しくなっている。