RE-TAKE

同人、しかもEVA。何をいまさら。まーでも、EVA板でもRE-TAKE1から話題になってたし。2までは読んでたんですが、欝な引きに嫌気が差して3は読んでなかったのでしたw
で、4の話。
数多ある世界軸の中で「僕はここにいていいんだ」と叫んだTV版と、その反動で全ての執着をLCLの中に追いやった末の「キモチワルイ」な映画版、その二つの振幅の間で分裂と淘汰を繰り返してきたのがエロゲ・アニメの表現だった。相対主義ニヒリズムに対抗するため、前者は内輪万歳に、後者はプロセスに希望を見出すミニマリズムに至った。後者は、Air,イリヤからハルヒに至るまでとうとうと続くセカイ系の系譜となっている。
RE-TAKE4もまたその範疇にある。シンジとアスカが(二人とも)、その両方を体験し解脱ちゅーか悟りに到達する。その力技はすごい。確かに読み応えはあった。憑き物が落ちるだけの内容にはなっていると思う。何度も"男の戦い"を繰り返し、択ぶ物を替え、互いに入れ替わりながら欲望と未来を否定し総括し、今そこにあるものの意義を見出す。かつてのEVA儲としてシンジとアスカがそこに至ったのはうれしいことだった。十万億の消費の末にここまで来たわけで。
でも、それは、殲滅戦である。浅間山荘なのである。あらゆる生々しさを打ち壊し解脱した先にあるのは、楽天主義虚無主義ミルフィーユのように積み上げられた世界、データベースが支配する世界である。ようやくラノベレベルに到達しただけだ。報われねー。神様なのか子供なのか得たいの知れないよすがに希望を託すしかない終幕。デウスエキスマキナは(舞台上の出来事だけでなく)あり得る全ての未来に干渉し、登場人物を導く。それはもう、物語でも神話でもない。
オチのつけ方に十分満足したと同時に、セカイ系の限界を見たような気がしました。